音楽の力。
技術的な話や、構造的な話で音楽を解体したり分析するのは好きで、ここでこうなる音が好き!とかここのリズムの揺れが気持ち良い!とか色々と考えるわけですが、なんだかんだ言っても圧倒的な破壊力がある音の前では全てが無意味に感じるんです。
音程がずれていようが、リズムが走ろうがもたろうが、間違えていようがなんだろうが、その場を一瞬にして支配する圧倒的な音、気が付けば意識がぶっ飛んでしまっているような音。
いろんな経験や知識で構築してきた自分の感性を、過去味わったことのない角度から一気に揺さぶられて破壊されていったときのあの衝動。興奮。
それは絵画にも、文学にも、映画にも、オブジェにも、その破壊力をもったものというのは存在するんです。
大人になるとなんとなく、「何歳までには何がどうで、こうでなければいけない」みたいなものに無意識が犯され、内側から迸る情熱やなんかを素直に打ち出せなくなってしまったり。
それに気が付かずに生きていくと、いつの間にか勝手に決められたルールでものを見たり考えたりしていて、その枠をはみ出したものはへんなもの扱いしてしまっていたり。
例えばノイズ作品を聞いて「あれは音楽じゃない」とか、フリージャスを聞いて「ジャズじゃない」とか、「理解出来ない」とか。
誰にでも分かりやすい言葉を並べて、耳に馴染んだ音を並べて、誰もが腑に落ちるような結論を導き出すことだけが音楽じゃなくて、それを真っ向から打ち崩す音楽もあって。
ジョン・ケージのように無音の音楽だってある。
想像力がいつの間にか制限がかけられて、本当に自由な発想というものが難しくなっていたり、制限があるからこそ、制限からの脱却を目指すためにアイディアが拡がることもある。
魂鼓舞するような音もあるし、鎮魂音もある。でもその音は万人にとってそう聞こえるものではない。
心浮き立つような音を聴いて悲しみがフラッシュバックする人もいるだろうし、怒りがこみ上げてくる人もいるだろうし。
自分のものさしが誰にでも当てはまるものではないということは、もう大前提の話でもあります。
なんて色々なことを考えている自分を根こそぎ持っていってくれる音に出会うと、それはもうドキドキが収まらないんです。
SARATOGAで目指すのはここ。
理論や技術や流行廃りとかを全部掻っ攫うような圧倒的破壊力を持つ音を作ってライヴで体感してもらうこと。
ありったけの情熱と魂を注いだアルバム完成まで、もう少しお待ち下さい。